著者、佐貫亦男氏(1908~1997)は、航空技術者でありエッセイストとしても知られた方である。飛行機の開発の歴史とライト兄弟の発想は示唆に富む。
飛行機の発明家としてライト兄弟は、周知の事実であるが、それまでには多くの先人の苦労があった。
・レオナルド・ダ・ビンチ(イタリア、1519年没)。ルネッサンスの天才で、多くの科学技術で実績を残したが、鳥を真似すればという発想から、羽ばたき飛行機を構想し、実験を繰り返したが、当時の技術では無理だと感じたのではないだろうか。
・ケーリー(イギリス、1799年)凧が浮揚する空気力学的な原理(揚力と抗力、凧糸による推進力と凧の重量が釣り合うこと)から、①尾翼を付けること、②上反角をもたせること、の飛行機の安定原理を示す。(やじろべいの原理で説明できる)
・アンリ・ジ・ファール(フランス、1852年)。蒸気機関とプロペラを使った飛行船。
・ラングレイ(アメリカ)。蒸気エンジン付き模型飛行機。ライト兄弟に助言。
・リリエンタール(ドイツ)。1891年から5年間、20種のグライダーを製作し、約2500回の飛行をくりかえしたが、墜落により死亡。
・シャニュート(アメリカ、1894年)。「飛行機械の進歩」の著書。
さて、ウィルバーとオービルのライト兄弟であるが、自己資産によって、商品として飛行機を開発し、操縦できる飛行機を設計する計画で研究を始めた。
ウィルバーが、コンドルが体をねじって羽根への風の当たり方を変えることによって方向を左右に変えるのをヒントにして、仕事の自転車のチューブを入れる細長い箱をねじるように、飛行機の複葉翼組をねじれば飛行機の横の安定性を保てると考えた。リリエンタールを除き、それまでの飛行機の研究者は、安定した飛行機を目指して研究していた。誰も積極的に操舵によって安定性を保つ開発方針をとる者が無かった。その理由は、模型を飛ばして研究していたものとされる。兄弟は、なぜ舵を使わないかと言う発想と、主翼ねじりによる横揺れ操縦法の自信が、実用的な飛行機の開発を可能にしたのである。そのために生家であるデイトンから1000km離れた、ノースカロライナの砂丘を実験場に選び、3機のグライダーをテストした。有人飛行機である以上は操縦が可能であるから、タイミングよく行えば問題ないと考えたのである。
1903年に初飛行に成功し、パイロットとしても習熟して失速の理屈も解明した。そして、主翼ねじり、および方向舵の同時操縦に関する特許も申請したが、アメリカでは評価されず、欧州にも開拓に出向いた。しかし、特許係争に負け、事業的にも失敗した。技術においては名人であり達人である人物が、その他の世俗的分野において、凡人にも劣ることがしばしばあるが、その例であった。
ライト兄弟の成功を可能にしたのは、勇気と主体的な制御思想であった。空が不安定なものであることを受けいれ、過度な安定に身をおかず、自らが操縦桿を握ることで安定を生みだすのだと。それは、われわれの人生に重なる発想ではないだろうか。航空工学の泰斗が贈る不安定時代を生き抜く逆転の発想である。 (杉山 哲朗)