精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか | 一般社団法人 中部品質管理協会

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昨年、ノーベル賞生理学・医学賞を大村智博士が受賞したが、最初の生理学・医学賞は、1987年(28年前)の利根川進博士の「抗体の多様性生成の遺伝子原理の解明」による受賞であった。当時、その研究内容を、博学で知られる立花隆氏がインタビューして解説したのが本書である。当時、感動し再読して見て、科学の中身は進歩しているが、科学の考え方、アプローチは変わらないことを実感した。

利根川博士の研究は、ヒトの免疫抗体に関するもので、ヒトには体内に異物(抗原)が侵入した時、それを排除する働きをする免疫の抗体があり、その生成に関する画期的内容である。

その内容には2つある。1つは抗体産生多様性で、生殖細胞系列説(遺伝情報の中に、もともと数多くの情報が含まれている)と、体細胞変異説(生殖細胞が伝える遺伝情報は、シンプルで少なく体細胞に分化する過程で変化する)があったが、利根川博士は後者の説で、抗体の特異性を決めるのは不変のC領域遺伝子に可変のV領域遺伝子が作用して、多様な抗体が発生することを実証した。免疫学を研究する前に、化学から遺伝子工学を研究していた経験がものをいった。すなわち、博士は、アミノ酸の配列を抗体で測る代わりに遺伝子で測り、また、遺伝子の数を測る代わりにスピードを調べたのであるが、DNAとRNAを結び付けるハイブリダイゼーションという技術を体得していたのである。

実験科学は、仮説を立てて実験で検証する。仮説の立て方を間違うとどんなに実験をやっても無意味である。自然はロジカルでないから、注意深い思考だけでなく運とセンスが必要である。もう一方の仮説を支持した競合の学者は、仮説が間違っていた。自分の予測に合わない実験結果が出てきた時、それが思いがけない結果でも間違っていることを省みない人が多い。思いがけない結果の事実に注目する。そして、分析する。そこから、新しい仮説も生まれるし、新しい実験計画も生まれてくる。その違いはインテンス(熱心さ)にあり、インテンスでものを見て、考えることである。実験に失敗したら、藁をもつかむ気持ちで、考えて考え抜く観察と考察の集中力が必要である。また、競合の学者と学会で論争したが、科学では自分自身がコンヴィンス(確信)することが大切である。自分が確信しなければ、人を確信させることはできない。簡単になんでもコンヴィンスする人はダメですね、と言う。

もう一つの実証は、生殖細胞からC遺伝子とV遺伝子が、体細胞に分化していく過程で、遺伝子組み換えが起こって抗体産生をするというドライヤー・ベネット説の実証である。

ここで利根川博士が言っていることは、科学で大切なことは、問題をクエスチョンの形で定式化すること、コンンセプトのアイディアである。そして、その問題の答えを出すために、どういう実験をするか、思考実験からテクニカルな実験へと進む。その遺伝子が変化することを実証したのが、胎児マウスの生殖細胞と分化したミエローマ細胞を比較することで、胎児では、C遺伝子とV遺伝子が離れたところにあり、ミエローマでは、遺伝子組み換えで両者が同じ場所にあると推定し、それを実験で確認した。

また、アイディアを実証するにはテクノロジーが必要で、10-12gというDNAを切断する制限酵素というテクニックを活用した。実はこの仮説を否定的に考えていたというのが本音で、他の解釈では成り立たないことを追試で確かめている。予測どおりであっては大発見にならない。予測が裏切られるほど大発見であると言う。そして、実験では、胎児マウスからDNAを取るためには2週間かかり、何百匹ものマウスを殺したが、こんな残酷なことは科学のためでなかったら、とてもできない。科学の研究は頭を使うものだと思われるかもしれないが、大部分は肉体労働である、と振り返っている。

最後に、二人は、生物は物理、化学によって解明され、生物は非常に複雑な機械であることが判ったが、やがて、人間の精神行動も科学で説明できる時が来るだろう、と言っている。立花さんの最近の本によればそうなりつつあるようだ。                       (杉山 哲朗)